「練習中:本番はできるはず」「本番中:できるはずのことができない」本番恐怖症だった頃
こんにちは、小春ういです。
ーー私には、本番恐怖症だった時期がありました。
練習大好き。本番怖い。
練習は毎回成長感があって楽しいけど、本番は緊張して自分をうまくコントロールできないから嫌だ。
強がって「人前で歌うとかじゃなくて、歌ってることそのものが好きなの」という言い方をしたこともありました。
「できるはずのことができない」
本番恐怖症だった頃は、パブロフの犬さながら「本番」と「緊張」が条件反射で繋がれている状態でした。梅干しを想像すると唾が出るように、どれだけ準備できたかに関わらず本番といえば緊張。
とはいえ、私は生まれながらの緊張しいではありません。もともとは「緊張? なにそれ?」でした。
そんな私が緊張するようになった最初の一歩を振り返ると、「できるはずのことができない」が積み重なったから。
それは、音がハマらない、ブレスがもたない、ビブラートが大きい、テンポキープができない……という小さな「技術的なできない」。それが時間とともに積み重なり「歌いたい音楽が表現できなかった」という大きな「できない」に成長しました。
「できるはずのことができない」と思い続けたことが私の本番恐怖症の原因です。
「そりゃ、できるわけない」
しかし、あるとき気づきました。
本番「できなかった」ことのほとんどが、練習で百発百中のものではなかったんです。
練習で「できた!」と思うのはだいたい集中して取り組んだ時。できるかできないか分からないことにチャレンジするから「できた!」と思うのです。それは、子供は「エスカレーターに乗れた!」と達成感を覚えても、大人は「エスカレーターに乗れた!」という感想があることすら忘れてしまうようなものです。
このように考えると、「できた!」と思う対象の「できること」は「集中すればできること」「調子がよければできること」にすぎません。それなのに、私はそれをを「本番でできるはずのこと」と捉えていたのです。
練習というリスクのない状況で百発百中できないことが本番で百発百中できるわけはありません。「できるはずのことができない」は当たり前だったのです。
百発百中のものしかできない
それに気付いて、私は「本番はこのくらいの演奏ができるかな」というラインを引き下げました。練習では「今はいいや」と思うことを辞めました。喉を気にして高い音を抜いて歌ったりとか、多少のズレを今集中してないからって言い訳して見過ごすこととか。
すると、「できるはずのことができない」は見違えるほど少なくなり、本番で歌うことを自由に感じられるようになりました。
歌は、きっと音楽の中で最も精神状態に左右される表現手段です。だからこそ本番で緊張してしまう人も多いと思います。そんな方の参考になれば幸いです。
〈ライター:小春うい〉
日本語の歌唱を得意とする声楽家・合唱指導者。国立音楽大学卒業。基礎力を大切にした歌唱・指導が特徴。日本語音声学や朗読などを学び、知識を実践に結びつけることをライフワークとする。中学生から合唱を始め、NHK全国学校音楽コンクール全国大会出場。高校では合唱部を音楽的に推し進め、初出場で全日本合唱コンクール全国大会3位相当の特別賞を獲得した。大学生・社会人になっても合唱やアンサンブルを続け、海外演奏旅行や海外コンクールなどの経験を持つ。