精一杯の笑顔なのに、明るい人と思ってもらえない友達。
友達が困った顔をしていると、「どうしたの?」と心配になります。
けれど、私には「困った顔をしていても心配にならない友達」がいます。
それは、私がその友達を嫌いだから、困った顔をしているのが気にならないというのではありません。
その友達は、普段の顔つきが困った顔だからです。
困った顔がデフォルトだから、困った顔をしていても「いつもの顔」と見過ごします。初対面の頃は、お会いするごとに「大丈夫かな?」と思っていましたが、何度もお会いする度に慣れたのです。
しかし、彼女は今も、初対面の方には「大丈夫かな?」と心配されていることでしょう。
彼女なりに初対面の方に好意を表すべく精一杯笑ったとしても、笑顔と笑顔の隙間に困り顔が除きます。そんな彼女の癖を捉えて、初対面の人は彼女に「何か落ち込んでいるのかな?」と心配するのです。
癖とは怖いものです。
友達は「今日も精一杯笑顔で頑張った」と思っているし、実際お相手と過ごした時間のうち9割8分ほど笑っていたでしょう。それでも、お相手は2%を捉えて、彼女に明るい印象は抱かないのです。
それは、人が普通ではない要素に敏感に反応するように進化してきたからです。
人は、人類の歴史からいえばそのほとんどを野生で暮らしています。危機から逃れることを優先順位の高いところに置いて生きていたということです。「今この瞬間殺されるかもしれない」と思わなくなった現代でもその習性は残っています。
生き延びるためには、自分に害を及ぼすかもしれない要素に敏感にならなくてはなりません。
その自分に害を及ぼすかもしれない要素とは、見慣れない動作や、これまでに感じたことのない感覚です。
癖とは、一般的ではない動作のこと。癖も、この見慣れない動作や感覚に含まれるのです。
癖があると伝えたいことをくもらせる
人前で歌われる歌は、何かを伝えるために歌われるものです。
歌いたいという思いの「発散」が目的ではありません。
とすると、歌はお相手を特定の感情に集中させることと言い替えられます。
宗教曲なら、静かで真っ直ぐな気持ちに。
希望を歌う曲なら、キラキラした気持ちに。
悲哀を歌う曲なら、少し重たい気持ちに。
しかし、その時に
テンポをキープするために手が動く癖があったり、
高い音を歌う時に眉をひそめる癖があったり、
音が変わる時にしゃくる癖があったりすると、
伝えたいことは伝わりにくくなります。
宗教曲を歌う時にこうした癖が出たとしたら、「静かでまっすぐな気持ち」になれるでしょうか。
合唱団が無駄な動きなく歌っていた方が、聞き手も「静かでまっすぐな気持ち」になりやすいはずです。
癖を取ることは容易いことではありません。毎日の積み重ねが必要です。けれど逆にいえば、毎日積み重ねることさえできれば癖を取ることができます。
「発散としての歌」ではなく、「表現としての歌」がうまくなりたいなら、上記のような癖がないかたしかめてみましょう。
〈ライター:清水ひなた〉
マナーアドバイザー・お話の仕方講師として活動する。要点と本質の分かりやすい説明に定評がある。言葉遣いだけでなく、発声や表情・間の取り方など非言語コミュニケーションについても伝える。中学生の頃から現在に至るまで継続して合唱活動を続けている。